Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage

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Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage を読み終えた。

  • Author: Haruki Murakami

  • Word Count: 88,305 words1

  • Pages: 336 pages

あらすじ

主人公「たざき つくる」は鉄道会社に勤務するアラフォー男性。彼には悲しい過去——とても仲のよい友人グループの輪から意図せず外されてしまう——がある。これはもう15年以上も前の出来事で、「つくる」自身も忘れてしまっていた昔の思い出であった。

しかし彼は自身の成長のために、その出来事の真相を探ることを決意する。恋人の「さら」の助けを借りて、かつての友人たち「アオ、アカ、シロ、クロ」を一人ずつ訪ねていく。

再生の物語

タイトルに見る"Colorless” は、仲間を失ってしまった主人公の、心の喪失を表している。

“Pilgrimage” はその名の通り、巡礼を意味している。

自分でも気づかない、心の奥底に眠っている深い傷。その傷を癒すために、主人公はかつての友人のもとを訪れ、少しずつ彩りをとり戻していく。そんな再生の旅が本作のストーリラインだ。

感想

著者 村上春樹は、彼の作品「Norwegian Wood」においても「再生」を描いている。だがそちらでは「喪失」の概念が強く描かれており、それに対する本作では「喪失」よりも「回復」の部分にスポットが強く当てられている。

そのため自分は、全体を通して明るい気持ちで楽しむことができた(とはいえ悲しい描写は多い)。

人称表現に見る日本語のハイコンテキストさ

読了後に、日本語版をすこしだけ読んでみた。

さらっと目についた箇所を読んだ程度なので細かい違いは把握していない。

しかし登場人物の言葉表現——とくに人称代名詞と敬語表現——については違和感があった。以下に例を示す。

  • Tsukuruの一人称が「俺」となっている(「僕」の方が合うように感じた)。

  • HaidaがTsukuruに対して丁寧語を使用している。

  • SaraがTsukuruのことを「つくる"くん”」と呼ぶ。

英語では一人称はすべて"I"で統一されているし、敬語の概念も存在しない。“くん"や"さん"といった敬称もない。

日本語は英語に比べてハイコンテキストな言語なのだと実感した。

また、はじめにどちらに触れるかで、その登場人物および作品に対する印象は大きく変わってくるだろう。違和感があるのも当然だ。

翻訳時に失われたコンテキストをどのように補完するか

日本語から英語に翻訳する際に、これら情報はそぎ落とされてしまう。損なわれた情報を別の表現で補うことも、翻訳家の仕事の一つなのかな、と感じた。

例えば原作小説をコミック化/映像化する際には、多くの文字情報が映像/音声情報へと変換される。この際に、原作小説からは多くの場合、「地の文」が損失するが、それと同じだけ、あるいはそれ以上の表現を映像/音声で提供することができれば、このコミック化/映像化は成功だといえる。

そういった意味で、おそらく本作でも何らかの形で——例えばHaidaの所作の一つ一つを丁寧で豊富な言葉で修飾することで、敬語表現を多用するパーソナリティを表現するなど——情報を補完しているだろう。

自分にはそれを感じ取るだけの英語読解力がないのが残念だ。

おわり

おわり。同作のAudiobook も所有しているので、時間を見つけてきいていく。

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